2017-02-22 第193回国会 衆議院 予算委員会第八分科会 第1号
木曽川の左岸堤の堤防につきましては、これまで対策を実施してきた結果、未対策の区間も含めまして、地震により堤防が沈下した場合においても、高潮に対する高さは不足するものの、施設計画上の津波に対する高さを確保できる状態となっております。
木曽川の左岸堤の堤防につきましては、これまで対策を実施してきた結果、未対策の区間も含めまして、地震により堤防が沈下した場合においても、高潮に対する高さは不足するものの、施設計画上の津波に対する高さを確保できる状態となっております。
去年も私は聞きましたけれども、現在の木曽川の河口の左岸堤において、津波に対する安全性というのはどのようになっているのか、お答えをいただきたいと思います。
今、先生御指摘の、さいたま市西区周辺となります羽根倉橋から上流の区間、特に左岸堤でございます、これの事業計画をお尋ねでございます。断面が不足しております本川の堤防でございますが、その整備水準が低い状態にあります。
新河岸川の防潮堤の建設工事は、現在右岸側の工事が進められておりますが、これは昭和五十九年度で概成する、六十年度から左岸堤の工事にかかる計画だと聞いております。私はこの左岸堤の工事を大いに急ぐ必要があると考えているわけです。 理由を申し上げますと、昭和五十七年九月十二日に台風十八号がやってきました。このときに浮間橋付近で洪水の最高水位がAP四・〇五メートルだったのです。
このため、今回の連続降雨に際しましては、赤穂市内における千種川左岸堤三カ所の破堤及び右岸堤三カ所の漏水による裏のり面の崩壊を初めとして、各所にはんらん、浸水を続出して、沿川の赤穂、上郡、上月、佐用等の市町村に甚大な被害を与えたのでありまして、いみじくもわが国における中小河川の豪雨に対する脆弱さを露呈する結果となったのであります。
それから第二点は、先生の言われましたような左岸堤が無堤の個所がございますので、その築堤工事を実施する必要がございます。 下流部の狭窄部につきましては、せきがございますので、野田ぜきと申しますが、この改築工事を四十七年度から実施をしておりまして、本年度には旧ぜきの撤去工事を除きまして、概成するわけでございます。
この対策といたしまして、まず外郭堤防、荒川の右岸堤、それから隅田川の左岸堤、それからこれに付随する水門、これにつきましては、伊勢湾台風級の高潮、また関東大震災級の大地震、こういうものにも構造的には安全な程度にしましてこれは完成しておるわけでございます。したがいまして、これが問題は一応技術的にまずわれわれとしても安全と見ておるわけでございますが、問題は内部河川の問題でございます。
阿賀野川の左岸堤は河口から泰平橋の上流まで破壊されました。被害は沈下、すべり出し、亀裂という形で起こりました。天端の沈下の最も大きなものは三メートルに達しました。この図には縦断方向の天端の沈下量が示してあります。これがもとの天端でございまして、地震の結果、天端はこう下がってまいりました。左に寸法が書いてあります。天端の沈下は最も大きいところで三メートルに達しました。
○木村(公)委員 建設省の官房長、河川局長、こまかく申せば水政課長、防災課長等の問題にもなるかと思いますが、ただいまの会計検査院からの御報告によりますと、木曽川の下流の左岸堤が不正工事のために破堤したという御報告がありましたが、私どもはそういうことを全然承知しなかったのであります。
次に下流改修工事についてみますと、渡良瀬川上流足利市岩井山の湾曲部は昭和二十二年カスリン台風の際、左岸堤が破堤し一挙に百八十名の生命を奪ったのでありますが、河川敷の拡幅計画がようやく昨年から予算化しています。
それでそのために宇治川筋で左岸堤が破堤をいたしまして、旧巨椋池地帯が浸水をいたしたのでございます。あそこは御承知のように旧巨椋池の地帯でありますために、地盤が非常に低いために排水が非常に困難な場所で、破堤個所の仮締切りはもうすでに終つたのでございますけれども、更に引続き本復旧に掛つているととろでございますけれども、何しろ浸水地の排水が非常に困難でございます。
しかし左岸堤の方は右岸よりも平坦になつて参りますので、下流の冨永案と表面上そう大した違いはない。深くなつて参りますと相違があると思いますけれども、表面においては富永案と背割提案はさほど相違違がないのではないかと思います。
従つてそういうふうな注意がもし足りないといたしますれば、われわれとしては今後これを考えて行きたいと思いますが、問題は小貝川の右岸堤は今まで切れたことがなかつた、左岸堤は御承知の通りに過去において切れまして、大被害をこうむつた、それも二回も切れたのでありますが、右岸堤は切れなかつたというために、多少地元において右岸堤に対する安心感があつたのではないかと思われる。
そこで今考えておりまする、これを府縣委讓をするということになりますと、昭和二十四年度には直轄改修の跡始末の仕事と、府縣がやります仕事によつて大体大分市の河口左岸堤の仕事ができる見込で今やつております。曾て過去において一千万円きり投じなかつた、これは物價の関係もありますが、一千万円きり投じなかつたのが、今度委譲によりましてそれ以上の金額がここに行くのであります。
それからその南下した水が、やはり葛飾區、江戸川區に押寄せたので、東京都といたしましては、中川の水位が上昇してのみきれぬというような關係から、荒川放水路と中川の左岸堤を切らしてくれという申出が十八日にあつたのであります。